『勘注系図』の研究

1 『勘注系図』とはどんな系図か2 神代から五世孫3 卑弥呼の時代4 開化や台与の時代
5 崇神の時代6 尾張氏に続く系譜7 丹波国造となる時代8 五世紀から九世紀
9 系譜を作成した人たち10 系譜は史実か11 系譜の続き具合12 系図概要
13 注記抜書き14 研究者、文献、その他15 私の卑弥呼論16 おわりに

11系譜の続き具合

11-1丹波支配者の系譜
11-2尾張氏系譜を混在させる『勘注系図』
11-3海部の系譜に登場する和邇氏の建振熊
11-4系譜に登場しない止羅宿禰
丹波支配者の系譜

 『勘注系図』は今日の京都府北部、丹後や舞鶴市と言われる地域で活躍した氏族の系譜である。
古くはこの地域の支配者であり、4世紀中頃国造と成る。だが西暦712年愛志の時代に丹波は分割され、海部氏の支配地域は丹波北部の五郡に縮小される。そして国造の称号は消え、丹後の国司となったとされる。次の千嶋以降は国造の称号はもとより、国司の称号も無く、単に籠神社の神官である祝(はふり)の称号のみと成る。海部氏が何時まで国司で在ったか不明であるが、千嶋の時代に海部氏は重大な危機に陥ったと思われる。詳しくは別項で記す。

先ず始祖とされる天火明や、その児天香語山命そして孫天村雲命がどこに住んでいたのか判然としない。
『勘注系図』が三世孫とする倭宿禰あたりから、この氏族による丹波支配が行われたようである。
次の系図は『勘注系図』と尾張氏系図の初期の部分の比較である。
天天火明から天村雲までは同じである。三世孫倭宿禰から異なる系譜をたどる。



倭宿禰と天忍人命や天忍男命の関係は異母兄弟である。



倭宿禰の次の笠水彦命、笠津彦命は現在の舞鶴市あたりが本拠地であったと推測される。
そして建田勢命の時代になって、丹波は本家とも言うべき尾張氏の直轄支配地になるようである。

『勘注系図』では本家とも言うべきこのあたりの尾張氏系譜も一部記す。
天村雲命と阿俾良依姫の児、三世孫天忍人命や天忍男命に続く系譜を三〜四世代記す。これは先代旧事本紀が尾張氏系譜として記す系譜である。

『勘注系図』は五世孫笠津彦命の次を六世孫建田勢命とするが、直接の親子関係には無いと考えられる。『勘注系図』でも注記の中で笠津彦命之子とするが一云建登米之子という別伝も記す。建登米之子であれば先代旧事本紀尾張氏系譜と同じである。
建田勢命は、孝霊の時代丹波の宰(みこともち)として丹波に赴いたとする。元々は尾張氏の本拠地葛城高尾張の人である。この時代丹波は尾張氏の直接支配地と成ったようである。
建田勢命が府を置いたのは現在の京丹後市久美浜町海士とされる。
そしてその子供建諸隅命が府を置くのが、京丹後市丹後町である。何れも丹波の支配者ではあるが、尾張氏の当主でもある。本拠地は葛城高尾張である。