『勘注系図』の研究

1 『勘注系図』とはどんな系図か2 神代から五世孫3 卑弥呼の時代4 開化や台与の時代
5 崇神の時代6 尾張氏に続く系譜7 丹波国造となる時代8 五世紀から九世紀
9 系譜を作成した人たち10 系譜は史実か11 系譜の続き具合12 系図概要
13 注記抜書き14 研究者、文献、その他15 私の卑弥呼論16 おわりに

14研究者、文献、その他

14-1研究者
14-2文献
14-3偽系図説への反論

 研究者

 『勘注系図』は長い間秘匿されて来たので、その本格的研究は極めて少ない。
とはいえ『勘注系図』の研究者が皆無と言うわけではない。
その一人が田中卓氏である。
氏は早くからこの系図の重要性に着目し、この系図が活字化されて一般の目に触れる前に、自ら写真に収録し詳細な資料の校訂を行っている。
この論文は田中卓著作集2に収められている。論考はあくまで資料校訂が主眼で、系譜の内容についての考察はほとんどない。
校訂にあたって『勘注系図』と『本系図』を比較し『勘注系図』で『本系図』の誤りを訂正するなど、『勘注系図』の資料的価値を『本系図』と同等に扱われている。その点では『勘注系図』の資料的価値を否定する研究者とは大きく異なる。

氏の古代史研究の特徴は『記紀』伝承を史実の反映と見て、古代史解明の重要な史料とされること、あわせて古代氏族系譜を重視される点である。
氏の古代氏族系譜に関する識見は、私など及ぶべくも無いが、研究の手法は同じである。
しかし田中先生は『住吉大社神代記』の垂仁没年の記事から、崇神没年を258年とされる。私は崇神没年を318年とするから、卑弥呼と同時代の天皇も大和王権成立の仮説も氏とはまったく異なる。
 
 またこの系図を国宝に認定することや活字化することに尽力された、村田正志氏がある。系図の仕様等に関する論考を見るが系譜の内容を論じた物があるか私は知らない。参考文献として氏が参考にされた文献を「文献」のページに掲載する。

 『勘注系図』の内容に論の及ぶ論者としては、次のような人たちがある。
早くから海部氏系図の考察に取り組んだ一人に、金久与市氏がある。氏の著書に『古代海部氏の系図が あり、数少ない先駆的な研究として評価できる。しかし系図は、それ単独での評価は難しい。他の系譜との比較や関連の有無、あるいは『記紀』伝承などとの関 連、さらには『新撰姓氏録』などの古文献との整合性を検討する必要がある。その点では氏の論考は系譜の紹介程度に留まり物足りない。

 もう一人『勘注系図』を取り上げる論者がある。オロモルフこと、石原藤夫氏である。『卑彌呼と日本書紀』などの著書もあり、古代史には造詣の深い人物である。氏によると金久与市氏や海部家当主との親交があり、海部氏系図について詳しい研究をされているようである。系図成立の解説などは極めて良くまとめられている。
氏は卑弥呼=倭途途日百襲媛=九世孫日女命とされる。
しかし『記紀』伝承によれば、倭途途日百襲媛は七代孝霊と、倭国香姫(意富夜麻登玖邇阿礼比売命)の子である。一方、九世孫日女命は『先代旧事本紀』によ ると、倭得玉彦命(日本得魂命)と淡海国の谷上刀婢(たなかみとべ)の子である。したがって倭途途日百襲媛と九世孫日女命は、その両親がまったく異なり別人なのは明らかである。

 また丹波王権に注目する伴とし子氏も海部氏系図にふれる。著書に『前ヤマトを創った大丹波王国』がある。伴とし子氏も石原氏と同じく九世孫日女命を卑弥呼とする。丹波王権の重要さに着目される点は、私と同じであるが、九世孫を卑弥呼とすることは、先の石原氏説の批判で述べたように受け入れられない。

 私が知る限り、最初に『勘注系図』の登場人物に卑弥呼を結びつけた論者は、澤田洋太郎氏あたりではないかと思う。その著書にあたってみると、氏も九世孫日女命を卑弥呼とする。しかしその論証は何も無いし、海部氏系譜の考察もない。

断っておくが私の日女命=卑弥呼は、六世孫の日女命すなわち宇那比姫命である。上記の論者達とは別の日女命である。したがって勘注系図の中に卑弥呼を見る点では同じであるが、まったく異なる説である。

『勘注系図』に登場する日女命という名称は、系図の中で何人も登場する。高貴な女性に対して使われる普通名詞である。後の世に「姫」あるいは「媛」という 漢字が当てられる「ヒメ」に命の尊称が付いたものである。したがって日女命という音の類似だけで卑弥呼とすることはできない。
それではなぜ多くの論者が、九世孫の日女命を卑弥呼とするのか、私なりに想像すると、九世孫日女命の横に注記として「亦名倭迹々日襲姫命」と記される。倭 途途日百襲媛を卑弥呼と考えたい、人たちは必然的にこの九世孫日女命に注目する。しかし先に批判したように、倭途途日百襲媛の親と、九世孫日女命の親は まったく一致しようがない。倭途途日百襲媛と九世孫日女命はまったくの別人である。

 一方この『勘注系図』は仮冒系図(作為された系図)として批判する人物がある。
系譜研究者、宝賀寿男氏である。氏は『勘注系図』をもとに卑弥呼論を展開するのは「妄論」と次のように批判される。
海部氏系図(というより、同系図は記事が少ないので、むしろ勘注系図のほう)を鵜呑みにした史論(試論)の展開は、おそらく金久与市氏の『古代海部氏の系図』(一九八三年刊、その後に新版もある)に始まるのではないかとみられ、最近では倉橋秀夫氏(倉橋日出夫。ネット上のHP「古代文明の世界へようこそ」)や伴とし子氏(『古代丹後王国はあった−秘宝「海部氏系図」より探る』一九九八年刊、などの著作) がこれを承けて、もう一つの天孫降臨伝承とか海部氏系図にいた女王卑弥呼とかいう妄論を展開している。海部氏系図と邪馬台国とはまったくの無関係であっ て、これらの所説は私には信じがたいことであるが、きちんとした古代系図の知識のもとで議論されることが望まれる。故近藤安太郎氏もいうように、「系図に ついては鑑識眼が必要」なのである。』

宝賀氏に言わせれば私の卑弥呼論など「妄論」以外のなにものでもないことになる。
宝賀氏は『本系図』を出自や人物を偽った仮冒系図と断定したうえで、『勘注系図』はこの『本系図』をもとに、『先代旧事本紀』尾張氏系譜を、『本系図』に 書き加えたものとする。したがって仮冒系図を基に創作された『勘注系図』など、歴史史料として使えないという前提に立たれる。そのために『勘注系図』を見 ても、その内容を見ようとはしないのである。
先の田中卓氏とは大きな違いである。田中氏の古代氏族系譜に関する識見は、宝賀氏に劣るものではないと、私は思っている。