『勘注系図』の研究

1 『勘注系図』とはどんな系図か2 神代から五世孫3 卑弥呼の時代4 開化や台与の時代
5 崇神の時代6 尾張氏に続く系譜7 丹波国造となる時代8 五世紀から九世紀
9 系譜を作成した人たち10 系譜は史実か11 系譜の続き具合12 系図概要
13 注記抜書き14 研究者、文献、その他15 私の卑弥呼論16 おわりに

9 系譜を作成した人たち
(七世紀始めから九世紀中頃)

9-1 最初に系譜を編纂した止羅宿禰
9-2 『養老本記』が編纂された経緯
9-3 『本系図』成立の過程
9-4 『本系図』が一部を記さない理由
9-5 『勘注系図』の完成
9-6 『勘注系図』が作成された背景

 最初に系譜を編纂した止羅宿禰

 『勘注系図』には末尾の注記に系図の成立過程を記す。
最初に『勘注系図』の元となる系図を編纂したのは、止羅宿禰(とらのすくね)という人物である。豊御食炊屋姫天皇御宇すなわち推古天皇(592~628年)の時代とする。
「國造海部直止羅宿禰等所撰也」と止羅宿禰等を国造とするから、系図上に登場してもよさそうなものでああるが、なぜか系図上に登場しない。

興味深いのはこの最初の系図編纂時期である。
『日本書紀』推古天皇二十八(620)年に、次のように記される。
『是歳、皇太子(厩戸皇子)、嶋大臣(蘇我馬子)、共に議りて、天皇記(すめらみことのふみ)及び國記(くにつふみ)、臣連伴造國造(おみむらじとものみやつこくにのみやつこ)、百八十部併せて公民等(おほみたからども)の本記(もとつふみ)を録す』とする。
この海部氏の系譜が最初に、まとめられた推古朝とする年代の注記は、『日本書紀』が伝える諸氏の「本記(もとつふみ)を録す」とする記事と符合し、極めて興味深い情報である。

 止羅宿禰が系譜をまとめたのは推古朝(592~628)である。おそらく厩戸皇子(うまやどのみこ)等が史書編纂に際し、それぞれの氏族に対し系譜の提出を求めたのである。これに応じて止羅宿禰が作成したと推測できる。
したがって止羅宿禰という人物は620年前後の人であろう。『勘注系図』では年代が明確に確認されるのは、國造海部直伍佰道祝からである。伍佰道が祝として奉仕したのは645年から680年である。したがって止羅宿禰は伍佰道の1世代前の人であろう。 何らかの理由で系譜上からは欠落したのかもしれない。