この人が卑弥呼
系譜で読み解く日本古代史 
第3章  海部氏と尾張氏系譜

  (2)丹波は尾張氏の支配地
はじめに

第1章 この人が卑弥呼
(1)大倭姫という大和王権の女王の名

(2)卑弥呼は日女命
(3)もう一人の大倭姫
(4)台与は開化の妃になった竹野媛
第2章 古代豪族系譜
(1)『先代旧事本紀』は偽書ではない
(2)系譜は創作ではない
(3)氏族系譜に登場する天皇名
(4)系譜編年

第3章 海部氏と尾張氏の不思議な関係
(1)『勘注系図』と尾張氏の不思議な関係
(2)丹波は尾張氏の支配地
(3)卑弥呼も台与も尾張氏
(4)卑弥呼は葛木高尾張の生まれ

第4章 『魏志倭人伝』に登場する人物
(1)邪馬台国の高官伊支馬
(2)邪馬台国の高官、彌馬獲支
(3)遣使、灘升米と伊聲耆は中臣氏の人
(4)遣使、都市牛利は由碁理
(5)世代位置の一致

第5章  尾張氏と大和王権
(1)五代孝昭の皇后、世襲足媛
(2)世襲足媛と宇那比姫は共に尾張氏
(3)丹波の大県主由碁理
(4)台与は卑弥呼の二世代後の同族の人


第六章へ続く
皆さんを卑弥呼の墓へご案内する。
 海部氏と尾張氏は共に初代を天火明命(あめのほあかりのみこと)として、その子供が天香語山命(あめのかごやまのみこと)、孫が天村雲命(あめのむらくものみこと)である。

天村雲から分かれる二つの系譜がある。ひとつは、天村雲命と伊加里姫(いかりひめ)の子である倭宿禰(やまとのすくね)に続く系譜である。もうひとつは天村雲と阿俾良依姫(あひらよりひめ)の子、天忍人(あめのおしひと)に続く系譜である。

前者が丹波の支配者、海部の系譜で、後者は葛木高尾張にいた、尾張氏の系譜である。ところがこの二つの系譜は、建田背命(たけだせのみこと)、以降ふたたび同じ系譜をたどる。永い間その意味が理解できなかった。

ようやくその意味を理解した。
丹波は尾張氏の支配地なのである。最初、尾張氏の傍流である倭宿禰が丹波の当主となる。その後笠水彦、笠津彦と続くが、丹波の当主はふたたび、尾張氏本家とも云うべき建田背命となる。
したがって建田背命、建諸隅命(たけもろずみのみこと)、倭得玉彦命(やまとえたまひこみこと)は尾張氏の当主であると共に、丹波海部の当主でもある。そのためこれらの人物は、尾張氏と海部の両方の系譜に当主として登場する。
そのように理解する事によって『勘注系図』という丹波直の系譜と、尾張氏の系譜が部分的に、同じ系譜を伝える理由がはじめて理解できた。

したがって『先代旧事本紀』尾張氏系譜は、建田背命を、もちろん尾張氏の人物とするが、その一方で海部直(あまべのあたい)丹波国造(たんばのくにのみやつこ)但馬国造(たじまのくにのみやつこ)等の祖ともするのである。
また『熱田太神宮縁起』が「海部は尾張の別姓」とするのは、この頃の海部は、尾張氏でもあったということである。




第3章
(3)卑弥呼は尾張氏、台与は海部氏。