この人が卑弥呼
系譜で読み解く日本古代史 
第5章  尾張氏と大和王権

(3)丹波大縣主由碁理
はじめに

第1章 この人が卑弥呼
(1)大倭姫という大和王権の女王の名

(2)卑弥呼は日女命
(3)もう一人の大倭姫
(4)台与は開化の妃になった竹野媛
第2章 古代豪族系譜
(1)『先代旧事本紀』は偽書ではない
(2)系譜は創作ではない
(3)氏族系譜に登場する天皇名
(4)系譜編年

第3章 海部氏と尾張氏の不思議な関係
(1)『勘注系図』と尾張氏の不思議な関係
(2)丹波は尾張氏の支配地

(3)卑弥呼も台与も尾張氏
(4)卑弥呼は葛木高尾張の生まれ

第4章 『魏志倭人伝』に登場する人物
(1)邪馬台国の高官伊支馬
(2)邪馬台国の高官、彌馬獲支
(3)遣使、灘升米と伊聲耆は中臣氏の人
(4)遣使、都市牛利は由碁理
(5)世代位置の一致

第5章  尾張氏と大和王権
(1)五代孝昭の皇后、世襲足媛
(2)世襲足媛と宇那比姫は共に尾張氏
(3)丹波の大県主由碁理
(4)台与は卑弥呼の二世代後の同族の人


第六章へ続く
皆さんを卑弥呼の墓へご案内する。
 この時代の政治組織がどのようなものであったか、正確に知ることは難しいが、大和王権が樹立された時、大和王権にに帰順した既存の豪族、たとえば葛木剣根などが葛木国造(かつらぎのくにのみやつこ)となる。また大和王権樹立に功績のあった椎根津彦(しいねっひこ)は倭国造(やまとのくにのみやつこ)となる。
一方 縣主(あがたぬし)は大和王権と密接な関係にあった一族と思われる。初期の大和王権の王妃は、多くが縣主の出身である。
中でも由碁理は丹波の大縣主である。現在の兵庫県の北部、京都府の北部、それに福井県の西部。すなわち但馬、丹波、若狭にまたがる広域を支配する。

卑弥呼は尾張氏の出身で大和王権の女王になる。甥にあたる由碁理は景初二年、卑弥呼の遣使として、大和王権を代表する次使の立場で魏に使いしている。
『魏志倭人伝』が伝える都市牛利である。この都市は魏王朝が牛利に与えた、中国側の官銘とする説がある。市を管理する役人の官銘だとされる。

そしてこの由碁理の娘竹野姫すなわち天豊姫が『魏志倭人伝』が伝える台与である。『勘注系図』によると、由碁理すなわち、建諸隅命は竹野姫のために、丹波に屯倉(みやけ)を置いたとする。屯倉は大和王権あるいは皇族の直轄領である。
更に次の世代の日本得魂も豊鋤入姫(とよすきいりひめ)という崇神の子のために、校倉(あぜくら)を建て、穀実を蓄えたとする。その校倉のあった場所は、京都府舞鶴市朝来の田口神社と推測される。

卑弥呼と台与という二人の女王は尾張氏の出であり、この時代尾張氏と大和王権は極めて密接な関係にある。尾張氏は大和王権を支えた主要な氏族なのである。


第5章
(4)台与は卑弥呼の二世代後の同族の人