日本建国史

大和王権成立の時

 この国の歴史教科書は、日本という国家の歴史を、いきなり飛鳥時代からはじめる。それ以前は、古墳時代という時代区分で、考古学的記述を並べるだけである。なんとも唐突な国家のはじまりである。
古墳時代に、巨大な古墳を造った王権が、後の飛鳥時代、あるいは律令国家と、どのように関係するのか何も教えてはくれない。
このホームページは、今日の学説の多くが、史実ではないと否定する『記紀』伝承に実年代を与え、日本という国家の成り立ちを、解き明かそうとしたものである。
対象とする時代は、神武東征から、倭の五王の時代まで、おおよそ2世紀初頭から5世紀。したがって神武東征の実年代や、実在しない天皇とされる欠史八代の実年代、卑弥呼の出自にも迫る。
きっとあなたの古代史観が変わると確信する。

                             「曲学の徒」桂川光和 敬白


 第一章 神武東征の物語
『久米歌が伝える戦いのリアリティー』
 (1)『日本書紀』に描かれた神武東征の物語
 (2) 孔舎衛坂(くさかざか)の戦い
 (3) 名草戸畔との戦い
 (4) 熊野、荒坂の津(丹敷の浦)での難破
 (5) 菟田の高城に鴫罠張る
 (6) 高倉山からの偵察
 (7-1) 国見丘の戦い
 (7-2)伊那佐山の戦い
 (8) 青垣山麓での戦い 
 (9) 久米歌が伝えた歴史のひとこま
 
第二章 『日本書紀』の実年代
『朝鮮史と対応できる四世紀史。』
 (1) 記紀にみる天皇崩御(没)年の違い
 (2) 神功皇后新羅侵攻の物語
 (3) 袴狭(はかざ)遺跡出土の外洋船団図
 (4) 『三国史記』新羅本紀、倭侵攻記事の信頼性
 (5) 四世紀代『三国史記』王暦年次に一年の狂いある。
 (6) 早められた新羅出兵の年次
 (7) 百済王子貴須が倭王に七支刀を贈った意味
 (8) 広開土王碑文、辛卯年(391年)倭の侵攻
 (9) 古事記天皇没年干支を中国史書で検証

 第三章 『勘注系図』から探る、欠史八代の実年代
『卑弥呼はここにいる。』
 (1)欠史八代の実年代を探る。
 (2)海人三百人を率い活躍した建振熊
 (3)億計(おけ)王、弘計(をけ)王を、かくまった海部直阿知(あまべあたいあち)
 (4)同一伝承にもとづく海部(あまべ)氏と、尾張氏の系図
 (5)尾張氏系図による、海部氏系図の修正
 (6)七世孫建諸隅(たけもろずみ)から、初代彦火明まで
 (7)この人が卑弥呼
 (8)この人が台与(とよ)
 (9)台与と並んで中国爵命を受けた男王 
  
 (10)欠史八代の実年代

補記
海部氏系図『勘注系図考』
国宝の真贋論争


第四章 丹後王権と大和王権のかかわり
『大和王権に女王と王妃を送り出した丹後の王権。』
 (1−1)尾張氏と海部氏の関係)
 (1−2)尾張氏や海部氏から出た女王や王妃
 (1−3)卑弥呼の系譜
 (2)丹後王権の経済力
 (3)鉄素材との交易品
 (4)丹後王権とつながる椿井大塚山古墳
 (5)剣一千口を作った丹後の集団
  

第五章 倭国出現
『後漢書倭伝と、魏志倭人伝を読み比べた事がありますか?』
 (1) 倭国と大和王権
 (2) 『後漢書』倭伝の典拠は『魏志倭人伝』ではない
 (3) 『魏志倭人伝』と『後漢書』倭伝の違い
 (4)『後漢書』倭伝に対応する『魏志倭人伝』の文
 (5)『魏志倭人伝』に対応する『後漢書』倭伝の文
 (6) 覇権の承認を求めた朝貢
 
第六章 ホケノ山古墳の築造年代
『考古学の年代観に異を呈する理化学年代値』
 (1)奈良盆地に出現する列島最大規模の古墳
 (2) ホケノ山古墳出土、木棺の炭素年代測定値
 (3) 勝山古墳出土、木板の年輪年代測定値
 (4)『棺有るも槨(かく)無し』の意味
 (5) ホケノ山古墳は倭氏の墓域
  
第七章 高地性集落の意味
『高地性集落と倭国乱を結びつける仮説が、弥生後期の年代観を誤らせた。』
 
(1)弥生後期畿内土器編年の信頼性
 
(2)畿内第4・5様式土器、実年代の論拠
 
(3)誤れる仮説
 
(4)倭国大乱の性格
 (5) 瀬戸内海周辺の高地性集落は倭国大乱と無関係
 (6) 神武東征と関連する高地性集落
 (7) 神武東征の時期
 
(8) 土器編年による年代推定に狂いがある

第八章 漢鏡出土地が語る、大和王権成立の時期

『大和王権は1世紀から二世紀初めの鏡をまとまって入手している』
 (1)画文帯神獣鏡の出土地から見た、邪馬台国畿内説
 
(2)漢鏡の年代別出土地の変遷
 
(3)大和王権は5期の鏡を、直接入手している。
 (4)画文帯神獣鏡の年代

第九章 ゆれる弥生の実年代
『弥生の実年代は古くなる』
 
(1)炭素14年代測定による弥生後期の実年代
 
(2)炭素年代と年輪年代の相互検証
 
(3)年輪年代とAMSによる新しい仮説

第十章 大和王権成立の時
『環濠消滅の理由が明かされる』
 (1)発掘が語る神武の奈良盆地侵攻

第十一章 建国の歴史を語れない今日の文献史学
『史料批判の名の下に抹殺される歴史書』
 (1)『記紀』を歴史書として復権させたい
 (2)文献史学の思い込みが、考古学の仮説を誤らせる
 (3)エキサイティングな『三国史記』倭関連記事

第十二章 欠史八代天皇、実在の論証
 『欠史八代天皇は実在した』
 (1)神武から崇神まで、諸家の世代数は7世代
 (2)欠史八代天皇系譜には、兄弟継承が含まれる
 (3)埼玉稲荷山鉄剣系譜と勘注系図が示す、大彦命の実在
 (4)箸墓築造伝承が伝える、書紀伝承の史実
 (5)『記紀』伝承に符合する、前期古墳への吉備地方の影響

第十三章 推定天皇在位年と氏族系譜の対応
『系譜が明かす大和王権出現の年代』
 (1)推定天皇在位年
 (2) 物部氏(その1)
 (3) 物部氏(その2)
 (4) 蘇我氏、紀氏、葛城氏の祖武内宿禰
 (5) 蘇我氏
 (6) 倭、紀氏
 (7) 葛城氏
 (8) 尾張氏
 (9) 和邇氏(和珥氏)
 (10) 津守氏
 (11) 海部氏
 (12) 中臣、鹿嶋氏
 (13) 大伴氏
 (14) 倭氏
 (15) 大神氏(おおみわし)・三輪氏
 (16) 埼玉稲荷山鉄剣の系譜
 (17) 系譜が明かす歴代天皇の実在

関連する曲学の徒HP

邪馬台国出現

第1部この人が卑弥呼
(古代有力豪族の系譜に卑弥呼を発見)
第2部卑弥呼の墓を追う

『魏志倭人伝』謎解きの旅(2000・03)

『勘注系図』
卑弥呼の登場する海部氏系図の考察

系譜で読み解く日本古代史

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このホームページは「魏志倭人伝なぞ解きの旅」と称する、2000年に公開した、邪馬台国所在地論に続くものである。
上記のページがその場所をテーマーにし、このページはその邪馬台国が、何時出現したかをテーマーにする。
その意味で前者の第2部とも言うべき著述である。前者のページと併せて読んでいただければ、幸いである。

2007年に『勘注系図』考(公開)
2008年この人が卑弥呼(公開)
卑弥呼の墓を追う(未公開)

引用、抜粋、転載等のお願い。


作者 曲学の徒:桂川光和
問い合わせ先

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2003年1月下旬、初稿をホームページに公開
2004年4月第三章『勘注系図』で探る欠史八代の実年代を追加
2004年6月第四章 丹後王権と大和王権のかかわりを追加
2005年1月第三章(9)第四章(5)を追加
2005年1月HPのタイトルを『大和王権成立の時』から『日本建国史』に変更
2005年3月第三章『後漢書』倭伝と『魏志倭人伝』の比較資料の追加
2005年5月章の順序変更
2005年7月第八章 漢鏡出土地が語る、大和王権成立の時期 を追加
2005年8月第九章 ゆれる弥生の実年代追加
2005年9月第十章(1)追加
2006年4月第十一章、第十二章追加
2006年9月第4章(6)卑弥呼の系譜追加
2007年2月ホケノヤマ古墳築造時期は170年代と修正
2007年3月第十三章(最終章)追加。