第一章 神武東征物語

(2) 孔舎衛坂(くさかさか・くさえのさか)の戦い

 吉備を出発した神武軍は、難波の岬を通って河内の国の草香邑(くさかむら・東大阪市日下)の白肩の津に着いた。

 現在の日下は内陸部で、舟で行けるような場所ではない。だが大阪平野には、縄文晩期から古墳前期(約3000年前から1600年前)、河内湖(初期は海水の潟で、後淡水の湖となる)と呼ばれる湖があったとされる。天王寺あたりから、東海道新幹線新大阪駅あたりまで伸びる上町台地と、吹田市南の陸地に囲まれた淡水湖である。淀川、大和川がこの湖に流れ込んでいたとされる。

古田武彦氏はこのことから、神武軍が、草香(日下)に上陸したという記述は、日下が内陸部になってしまった後世に創作できるものではないとする。湖を実際に漕ぎ渡った事実にもとづく記述であり、このことから神武東征は史実であると主張する。
この点は私も同感である。しかし氏が重要視する久米歌の解釈は、私と大きく異なる。また東征の時代推定も異なる。私の解釈は後に詳しく述べる。

草香に上陸した神武軍侵攻の様子をたどってみよう。
はじめ生駒山地の南につながる、信貴山南麓あたり龍田越えで、奈良盆地への侵攻を試みる。だがその道は狭く、険しいので引き返す。
次に生駒山の北を越えて侵攻しようとするが、孔舎衛坂(くさかざか、またはくさえのさか)(東大阪市日下)で応戦した長髓彦(ながすねひこ)に敗れるのである。この戦いで長兄五瀬は脛(すね)に矢傷を負う。

守りの堅い、大阪湾側からの侵攻をあきらめた神武軍は、奈良盆地の東側から侵攻するため、紀伊半島を迂回する行動に出る。
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