第一章 神武東征の物語

(5) 菟田の高城に鴫罠張る

 熊野は山深い、道案内無くして熊野山中の縦断は困難である。
頭八咫烏(やたのからす)の案内で、神武軍は熊野山中を突破する。
頭八咫烏はもちろん烏ではない。
建津身命(たけつみのみこと)または建角身命(たけつのみのみこと)と呼ばれる人物で、その功績により宇陀地方で、葛野主殿県主(かずののとのものあがたぬし)となり、後に山城に移り、賀茂県主の遠祖となったと、される人物である。

神武軍は菟田(うだ)の穿邑(うがちむら)(奈良県宇陀郡菟田野町)に到着する。
そして宇陀地方の首長を懐柔する。
しかし首長たちの中で、弟猾(オトウカシ)は帰順するが、兄猾(エウカシ)は帰順すると見せかけ、抗戦するのである。最後はエウカシを菟田の血原で斬ったとする。

 神武軍がどのように戦ったかを伝える歌が、記紀に採録されている。
久米歌といわれる歌である。
久米と呼ばれる氏族は和歌山市あたりの出身で、途中で神武軍に加わったと推測される。久米歌は自分達の活躍を、歌と踊りにして子孫に伝えたものと考えられる。
久米舞は国風歌舞(くにぶりのうたまい)の一つとして、今も宮中に伝えられる。ただし現在のものは一度絶え、江戸時代末期に復活されたものとされる。
記紀に採録された久米歌の解釈を中心に話しを進める。

「莵田の高城に鴫罠(しぎわな)張る わが待つや 鴫は障(さ)わらず いすくわし 鯨(区じ羅)障(さ)やる」(紀)

 莵田の高城(たかぎ)の場所を確定できないが、その場所として、次の二つの候補がある。その一つが、宇陀郡菟田野町佐倉あたりとする説である。この近くにある桜実神社境内に「八ッ房杉」といわれる杉の巨木がある。国の天然記念物ともなるこの巨木は、神武がこの地に陣を張った時植えたとの伝承を持つ。
もう一つは榛原町赤埴(あかばね)の高城山(810m)という説である。高城山に続く後背地に三郎ヶ岳があり、その東側裾野に血原という場所もある。



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 この高城に鴫罠(しぎわな)を張ったというのである。
まさか鳥を捕る罠で、鯨が捕れることは無い。鴫も、罠も、鯨も、比喩である。
高城で対峙した敵の中心人物は、奈良盆地中央部を本拠とする磯城(しき)彦である。
シギはシキで、敵対する磯城彦のことである。また鯨は山鯨(猪)のことで兄猾(エウカシ)のことである。『日本書紀』は「区じ羅」、『古事記』は「久治良」とする。

意訳すれば『宇陀の高城に鴫罠(磯城彦を討つ罠または陣)を張って待つた。鴫(磯城彦)でなく鯨(兄猾・エウカシ)が、かかった』という意味でる。
「馬鹿なエウカシよ」とあざけり笑った歌である。
なお「いすくわし」の意味は不明であるが、私は「こざかしい」というくらいの意味に解釈する。

さらに歌は「こなみ(前妻)が な(魚)こ(乞)わば たちそばの 実のなけくを こきしひゑね うはなり(後妻)が な(魚)こ(乞)はさば いちさかき 実のおほけくを こきだひゑね」(紀)と続く。
古い妻がさかなを欲しいと言ったら、たちそばの実のような、身のないところをやる。新しい妻がさかなを欲しいと言ったら、いちさかき(椎)の実のような 身の多いところをやる。

男が複数の妻を持った時代、新しい妻がいとおしいという、男の本音を笑いの種にした歌である。
前後の歌に、意味のつながりは無い。ともに笑いの種にしたという意味で、男達が集う仲間内の宴席などで、歌い継がれてきたのであろう。
『古事記』は「歌にこたえてはやしの声にぎやかに、ののしり笑う。」として「ええしやこしや ああしやこしやはや」とはやしの言葉を記す。
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