第一章 神武東征の物語

(6) 高倉山からの偵察

 『日本書紀』は次のように記す。
天皇は、あの菟田の高倉山の山頂に登り、域中を望み見た。国見丘の上には八十梟帥(やそたける)がいた。また女坂に女軍を置き、男坂に男軍を置き、墨坂に赤い燠(おき)を置いた。・・中略・・
賊どもの拠点はみな要害の地で道路は塞(ふさ)がれて途絶(とだ)えてしまい、通るところはなかった。


 墨坂は西峠である、現在の墨坂神社は宇陀川沿いに祭られているが、古くはこの西峠に在ったとされる。
西峠は榛原(はいばら)〜長谷寺間の峠で、宇陀から奈良盆地に抜ける主要道路でもある。奈良盆地側から見れば、侵入する敵を阻止する要害の地である。

この墨坂の南の山塊が音羽三山と呼ばれ、北から音羽山、経ヶ塚山、熊ヶ岳と続く、奈良盆地と宇陀地方を分かつ、青垣山の一つである。国見丘とはこの山塊の一つとされる。
更に南は大峠を挟んで龍門ヶ岳に続く。宇陀から奈良盆地に向かうには、上記の西峠を通るのが一般的だが、大宇陀町の半坂から、音羽山の北山麓を抜け、桜井市の粟原(おおはら)に抜ける峠道がある。ここを下って桜井市忍坂(おっさか)に至る。忍坂(おっさか)街道と呼ばれる古い街道である。男坂とはこの坂とされる。
また大宇陀町宮奥から大峠を越えて、多武峯(とうのみね)の東に抜け、桜井市に至る街道がある。ここが女坂とされる。

この高倉山とは山麓に高倉という地名を持つ榛原町の福地山のことである。福知山の稜線から、西峠や音羽三山を正面に望むことができる。
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