第十章 終りに 

(1) 日本古代史解明の史料

 今日、『日本書紀』の古い時代の記述は、信頼できないとする研究者は多い。古い時代の記述は、大和朝廷が、自分たちの正当性を主張するために、創作したフイクションであるとする。

もちろん事実とは認めがたい記述も少なくないが、当時の一級の知性が、国家事業の一つとして編纂した歴史書である。そこから読み取れる歴史的事実は少くなくない。

太平洋戦争時、戦争遂行のために天皇の絶対性が強調された。いわゆる皇国史観と称される歴史認識である。占領統治下において、アメリカは、この歴史観や思想を排除するために、その思想的背景となった『日本書紀』を、学校教育の場で採り上げることを禁じた。
また戦後の歴史研究者の多くが、天皇を絶対しした思想への反動から、『日本書紀』を歴史資料として扱うことを拒否した。その流れは今も続いている。

私もまた学校教育の場で、『日本書紀』を読むことの無かった世代である。だが私は卑弥呼を追って『日本書紀』を手にした。その過程でこの歴史書の持つ価値を知ることになった。
今私は、『日本書紀』の歴史書としての価値を復活させたいと強く願っている。

 今一つ歴史研究のための貴重な資料がある。
系譜伝承である。我が国には膨大な系譜伝承が存在する。公開されていない物も含めれば、その数は計り知れない。

私はこの「日本建国史」を著すにあたって、その核心部分の認識を『勘注系図』などの系譜から得た。
この『勘注系図』や和邇氏系譜を読み解くことによって、始めて邪馬台国や卑弥呼の謎を解き明かせたと考えている。それは中国文献や『日本書紀』だけでは、絶対に解き明かせなかった謎である。

私が尊敬する歴史学者がある。田中卓博士である、氏は『日本書紀』などの歴史書と、古代氏族の系譜伝承は、日本古代史解明の重要な史料であるとされる。私もまったく同感である。

 このサイトは日本という国が、何時どのように成立したかということに対する、個人的な興味から始まった。これは日本人なら、誰しもが抱く疑問であるかもしれない。 邪馬台国の所在地について、かくも長きにわたって、多くの研究者が、論じてきたのもその現れであろう。
しかしながらそれは、宇宙の起源、人類の起源、日本人のルーツなどを追求すると同じように、容易には解明出来ない謎でもある。 また解明できなくとも、日常の生活に差し障りのあるような問題でもない。 だが、この疑問への回答は、私達日本人の精神生活に少なからず影響を与えると考える。
大和朝廷という王統が生まれてから、1900年以上が経つ。その王統は今の天皇家として今日も存続する。現在まで続く世界最長の王統である。
長い間には、日本という国が消滅する危機に直面したことが度々ある。しかし幸いにして滅びることなく、今もその歴史を刻んでいる。そのことが私たちに勇気と誇りを与えてくれると信じている。また古代史を紐解く価値が、そこにあるとも考える。
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 最初にこのサイトを立ち上げたのが2003年1月。書き始めてから十年近くが経つ。その間新しい知見も増えた。
基本的な認識は変わっていないが、新しい知見を加えて、2012年2月全面的にリニューアルした。

(2012年2月初旬、「日本建国史」再構成サイト公開)

(2016年2月『卑弥呼の王宮出土』電子本出版)


 私はハンドルネームを「曲学の徒(くせがくのと)」とする。その命名のヒントは曲学阿世(きょくがくあせい)に由来する。
曲学阿世の意味は次のようなものである。
「曲学」は真理を曲げた正道によらない学問。「阿世」は世におもねる意。

あまり使われることの無い語句であるが、この言葉が使われる場面を見ると、正統派と自認する人が異説を切り捨てる際に、罵倒する言葉として用いられる。
しかし正統派と称する説が必ずしも真理であるかは疑問である。
私の説は今日の流布する日本古代史とは極めて異質な説である。正当を自認する人たちから罵倒される説であることを自認して、あえて曲学を名のる。