第二章  『日本書紀』の実年代

(1) 『記紀』にみる天皇崩御年(没年)の違い

 『日本書紀』は神武以降について天皇崩御(没)年、年次を記す。
また『古事記』に年次はないが、一部天皇について崩御干支(えと)を記す。この干支から推測される年次と『日本書紀』の年次とを比較してみる。

下の図は『古事記』と『日本書紀』の天皇崩御年を、グラフにしたものである。
27代安閑あたり以降の崩御年は、『古事記』と『日本書紀』でほぼ一致する。
『古事記』が完成したのは西暦712年とされ『日本書紀』は720年とされるから、200年くらい前の安閑あたりの年代は、信じられそうである。
しかし19代允恭(いんぎょう)あたりを境にして、『日本書紀』と『古事記』の記述に乖離(かいり)が見られる。少なくとも15代応神以前の年代では、どちらも正しくないか、どちらかが間違っている。
古事記 日本書紀
天皇代位 天皇名 崩年干支 推定西暦年 崩年干支 西暦換算年
1 神武 丙子 紀元前585
2 綏靖 壬子 549
3 安寧 庚寅 511
4 懿徳 甲子 477
5 考昭 戊子 393
6 考安 庚午 291
7 考霊 丙戌 215
8 孝元 癸未 158
9 開化 癸未 98
10 崇神 戊寅 紀元318 辛卯 紀元前30
11 垂仁 庚午 紀元70
12 景行 庚午 130
13 成務 乙卯 355 庚午 190
14 仲哀 壬戌 362 庚辰 200
神功 己丑 269
15 応神 甲午 394 庚午 310
16 仁徳 丁卯 427 己亥 399
17 履中 壬申 432 乙巳 405
18 反正 丁丑 437 庚戌 410
19 允恭 甲午 454 癸巳 453
20 安康 丙申 456
21 雄略 己巳 489 己未 479
22 清寧 甲子 484
23 顕宗 丁卯 487
24 仁賢 戊寅 498
25 武烈 丙戌 506
26 継体 丁未 527 辛亥 531
27 安閑 乙卯 535 乙卯 535
28 宣化 己未 539
29 欽明 辛卯 571
30 敏達 甲辰 584 乙巳 585
31 用明 丁未 587 丁未 587
32 崇峻 壬子 592 壬子 592
33 推古 戊子 628 戊子 628

 
 『日本書紀』は初代神武以前を神代、神武以降を人代として人代以降について年次を記す。
神武が橿原で即位したとされる、辛酉の年を現在の西暦で表すと、紀元前660年になる。だがこの年次を史実として信じる事は出来ない。
その理由として、神武以前の天皇の寿命が、異常に長寿であること。
実在の確かな天皇から、世代数を数えてみても、とても神武の即位年代を紀元前660年まで古くすることは出来ないことである。
これらのことから『日本書紀』の古い時代の年次は、神武の即位年次を意図的に古く設定することにより、全体として古くなっている考えられる。

明治の歴史学者那珂通世(なかみちよ)によると、これは1260年ごとの辛酉(しんゆう)の年に大革命が起きるという中国の讖緯(しんい)思想により、神武の即位年代を作為したものとする。今日ではこの説が広く受け入れられている。

グラフは19代允恭あたりから、初代神武の即位年が660年になるように、時代を古くさかのぼらせた様子をうかがわせる。
したがって『日本書紀』が記す、年次から神武時代の実年代を再現する事はできない。
しかし『日本書紀』も、四世紀代の終わりになると、一部に朝鮮史書『三国史記』との対応がとれる。
『日本書紀』の次のような記述は、神功あたりの実年代に、120年の狂いがあることをうかがわせる。

神功五十五年(乙亥 255年)
百済肖古王死す(日本書紀)
百済近肖古王死す(三国史記・乙亥 375年)

神功六十四年(甲申 264年) 
百済貴須王死す(日本書紀)              
百済近仇首王死す(三国史記・甲申 384年)

『日本書紀』と『三国史記』の干支は同じとなるが、『日本書紀』は干支二順すなわち120年古く記す。
このあたりの『日本書紀』年次を120年繰り下げれば実年代を再現できる可能性がある。

これに対し『古事記』の崩御干支から再現される年代に、明らかな作為を思わせる傾向は、読み取れない。むしろ欠落する情報が、作為のない事をうかがわせる。
だが『古事記』の場合、干支のみでは年次を確定できない。たとえば崇神崩御の干支、戊寅(ぼいん)を西暦318年とすることも、258年とすることも可能である。しかしグラフの傾向を読むかぎり、崇神崩御年は258年より318年の方が、妥当である。
そこで『古事記』の天皇崩御干支を手掛かりに、『日本書紀』年次の実年代を『三国史記』との対応関係から探る。

戦争は何れの立場でも、重大事件である。記録や伝承に残る可能性は大きい。
そこで『記紀』が語る、神功皇后新羅出兵の物語と、『三国史記』新羅本紀にみる、「倭」侵攻の記述との関連を探る。

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