第二章 『日本書紀』の実年代

(3) 『三国史記』新羅本紀、倭侵攻記事の信頼性

 もし神功の新羅出兵が史実であるとしたら、それは何時の事であろうか。
『日本書紀』は二月に14代仲哀が崩御し、その年の九月に出兵の命令を出し、十月に対馬北端の鰐浦を出港したとする。

『古事記』は仲哀の崩御干支を壬戌(ジンジュツ・みずのえいぬ)とする。先にみたように『日本書紀』の仲哀あたりの年代は、大きく実年代と乖離する。したがって比較的確からしい『古事記』の崩御年干支を手掛かりにする。
仲哀崩御の年、壬戌は西暦362年と仮定して、朝鮮史書『三国史記』新羅本紀で、この年代に近い倭、侵攻記事を探す。
すると先に挙げた奈勿尼師今九年四月の「倭兵大いに至る」の記事が思い当たる。
私は新羅本紀のこの記事は、『記紀』の語る新羅侵攻の物語と、同じ事件と考える。
しかし三国史記に付属する、王暦年表によると奈勿尼師今九年は、西暦364年となる。
『古事記』による仲哀の崩御年を362年として『日本書紀』が語る、新羅出兵を、仲哀崩御の年とするなら、362年の十月となり、『三国史記』との間に一年半の時間差がある。簡単に同一の事件とする訳にはいかない。

そこでまず三国史記の倭関連の記事や年次が、信頼できるかを調べる。

 『三国史記』は高麗の金富軾(きんふしき)によつて1145年、撰述された現存する最古の朝鮮史書とされる。だが『三国史記』の成立は十二世紀であり、しかも新羅が国として成立するのは、四世紀代とされる。このことから新羅本紀の四世紀以前の記述は、信頼性が低いとする研究者は多い。
しかし次の表を見ていただきた。
『三国史記』新羅本紀には、倭、倭賊、倭兵、倭国など、倭に関係する記事は多い。倭との戦い、倭の侵攻記事を月別に拾い出した表である。
数字は、新羅本紀に見る、倭の侵攻や倭との戦いの西暦年
1月
2月 463
3月 407
4月 121/122/208/232/249/287/364/405/431/444/459/489/497/500
5月 233/289/393/462/477/482
6月 292/407/440/476
7月 233/671
8月 415
9月
10月
11月
12月

(数字は西暦年、ここでは年表の干支をそのまま西暦に換算した。)

 倭の侵攻は4月から6月に集中する。四世紀以前では4月から7月までである。
当然の事であるが、対馬海峡は冬場北西の風が強く、波高も高い。また秋は台風に見舞われる。
それに比べ旧暦の4月頃は南西の風が吹き、海は比較的穏やかになる。
渡海して軍事行動を起こすには、4月〜6月が最も適した時期なのである。
上の表はこのことを良くあらわしている。このことから三国史記の倭関連記事は、史実にもとづくと推測できる。

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