第三章 倭人伝と『日本書紀』の接点

(1) 最奥の秘記『勘注系図』

 京都府の日本海側、宮津市に、日本三景の一つと知られる、天の橋立がある。
天の橋立が、あたかも参道のように海中に延びた北の端に、籠(この)神社と呼ばれる古い神社がある。その神社の宮司家である、海部(あまべ)家に古い系図が伝わる。
『籠名神社祝部氏系図』(こみょうじんしやはふりべうじけいず)と呼ばれる略称『本系図』と『籠名神宮祝部丹波國造海部直等之氏系図」(こみょうじんぐう はふりべたんばくにのみやつこあまべあたいとうのうじけいず)と呼ばれる、より詳細な『勘注系図』である。
本系図は朝廷に提出することを目的に作成された系図で、当主のみを縦に書き連ねる。しかも系図の途中を意図的に隠して記さないのである。

一方『勘注系図』は登場人物の名前と共に、その人物にまつわる事跡など、膨大な書き込みがある。したがって興深いのは『勘注系図』である。
また『勘注系図』の末尾には『今ここに最奥の秘記と為し、以って相伝ふ。永世あい承って他見許すべからず』として門外不出の秘記として隠し続けられてきた。だが昭和51年に国宝に指定され、平成4年に『神道体系』という書物の中に、活字化されて全文が公開された。

私は建振熊という人物を追って、最奧の秘記『勘注系図』を紐解くことと成った。
だがこの系図の書き込みは膨大で、一部には混乱もある。たとえば建振熊という人物を、十八世孫とも十五世孫ともする。簡単には読み解けない代物である。そこで必要になったのは登場人物の年代の推定である。
幸いなことに『勘注系図』には部分的ではあるが、どの天皇の時代か記す。これによって日本書記との対応関係がつかめる。『勘注系図』には、稚日本根子彦大日日(わかやまとねこおおひひ)天皇(九代開化)や御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)天皇(十代崇神)が登場する。
私は古事記による崇神の没年干支
戊寅(いぬとら)を西暦318年とする。崇神の時代はおおよそ300年前後で、このあたりのおおよその年代が、つかめるのである。

そしてこの二世代前に、とてつもない名前を見たのである。『魏志倭人伝』が伝える卑弥呼と思しき人物である。

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