第三章 倭人伝と『日本書紀』の接点

(4) 丹波は尾張氏の支配地

 『先代旧事本紀』という史書がある。一部には偽書という説も有るが、私は偽書ではないと考えている。
その中に尾張氏の系譜がある。
尾張と言えば現在は愛知県を指すが、元は葛城高尾張である。
葛城高尾張とは、奈良県御所市の葛城山麓の地名である。『
日本書紀』によると、神武の時代高尾張邑から葛城邑に名前が変わったとされる。

 『勘注系図』とこの尾張氏系譜は、部分的に同じ系譜を伝える不思議な関係にある。
『勘注系図』は丹波と呼ばれる、京都府北部の豪族の系譜である。一方『先代旧事本紀』尾張氏系譜は、前半が奈良県御所市あたり、後半は愛知県に遷った後の豪族系譜である。
不思議なことに、なぜか異なる地域の豪族系譜が、部分的に同じ系譜を伝えるのである。



 それは次のような事情である。丹波は古い時代の一時期、尾張氏の支配地となるのである。そのことを伝える伝承がある。
尾張氏系譜にも『勘注系図』にも七世孫建諸隅命(たけもろずみのみこと)という人物が登場する。『勘注系図』は建諸隅命を由碁理(ゆごり)とする。古事記によれば由碁理は丹波の大縣主である。建諸隅命は尾張氏の当主であり、丹波の大縣主でもある。すなわち尾張氏は大縣主という丹波の支配者なのである。そのため丹波の海部氏系図に、尾張氏の人物が海部の当主として登場するのである。
『勘注系図』によれば最初に丹波に府を開くのが、建田勢命である。その場所は現在の京丹後市久美浜町海士である。次の建諸隅命が府を置くのは、京丹後市竹野町である。三世紀の前半中頃から、四世紀の始めにかけて丹波は尾張氏の支配地域なのである。
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