第三章 倭人伝と『日本書紀』の接点

(6)台与は九代開化の妃、竹野媛

 『古事記』によれば、九代開化は旦波(たんば)の大縣主、名由碁理(ゆごり)の女、竹野比賣(たかのひめ)を娶ったとする。
一方『勘注系図』は、七世孫建諸隅命のまたの名を、由碁理とする。由碁理が丹波の大縣主であれば、『勘注系図』という丹波の系譜の中に由碁理という名を見ることは不思議ではない。
建諸隅命のまたの名が、由碁理で、丹波(旦波)の大縣主なのである。そしてこの建諸隅命の子、竹野媛(竹野比賣)が開化の妃である。この竹野媛の本来の名は天豊姫である。

私はこの天豊姫を台与とする。天豊姫を台与とする理由は次のようなものである。
建諸隅命は、私が卑弥呼とする宇那比姫の甥(おい)である。したがって、天豊姫命と呼ばれるこの人は卑弥呼を出した一族の女、すなわち宗女である。



また天豊姫命の『天(あま)』は後の海部(あまべ)と呼ばれる一族名であるから、名前の部分は豊『とよ』で『魏志倭人伝』以外の中国史書が伝える臺輿(とよ)と音が似る。
さらにこの人の別名、大倭姫命という名は大和王権の女王の名である。私が卑弥呼とする宇那比姫命 にもこの大倭姫命の名を冠す。中国史書はこの二人を共に倭の女王とする。

したがって建諸隅命の子、天豊姫は中国史書が伝える、倭女王台与であり、それはまた九代開化の妃と伝えられる竹野媛でもある。

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