第4章 卑弥呼時代の天皇

(1) 卑弥呼には夫があった

 和邇(わに)氏という古代有力豪族がある。和爾、和珥、丸、丸邇などとも表記される。
五代孝昭の皇子、天足彦国押人(あまたらしひこくにおしひと)を祖とする。

太田亮(おおたりょう・1884〜1956)とい系譜研究者が著した、『日本姓氏家系大辞典』という事典がある。
その中の和邇部氏系図にとんでもない人物が登場する。
私が卑弥呼とする宇那比媛(うなびひめ)である。『押媛命(おしひめのみこと)(一に忍鹿比売命、母は建田背命の妹、宇那比媛命也)』とするのである。
宇那比媛を建田背命の妹とするから、尾張氏系図に登場する宇那比姫で間違いない。尾張氏や同族の海部氏とはまったく異なる、和邇氏系図に宇那比姫命が登場しているのである。
押媛の父親は五代孝昭の子、天足彦国押人である。したがって押媛の母親が宇那比媛で父親が天足彦国押人である。ということは天足彦国押人は宇那比媛の夫、すなわち卑弥呼の夫なのである。



貴方は卑弥呼に夫があったなどという話は信じないであろう。
なぜなら『魏志倭人伝』は、卑弥呼について「年すでに長大、夫壻なし」とするからである。私も長い間卑弥呼は独身の女性と思っていた。ところうが天足彦国押人命と宇那比媛に繋がる子孫の墓から、卑弥呼の遺品が出土している。そのことは宇那比姫が卑弥呼であり、天足彦国押人は卑弥呼の夫であった事を立証する。
ただ魏の使者が邪馬台国を訪れた240年の時点では、天足彦国押人はすで亡くなっていたのである。
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