第四章 卑弥呼時代の天皇

(3) 男弟は六代孝安

 卑弥呼の夫が天足彦国押人命(あまたらしくにおしひとのみこと)であるという私の仮説は、とてつもない事実を明らかにする。
天足国押人は五代孝昭天皇と尾張氏の世襲足媛(よそたらしひめ)の子である。弟が倭足彦国押人命(やまとたらしひこくにおしひと)すなわち六代孝安天皇である。



『魏志倭人伝』は『男弟ありて、佐(たす)けて国を治む』とする。卑弥呼に弟があったとする。
だが宇那比姫は七人兄妹であるが、末の娘で実の弟は無い。
該当するのは、義理の弟となる孝安である。この男弟は六代孝安に他ならない。

卑弥呼の政治を補佐した男弟が、後に天皇と称される孝安なのである。孝安は卑弥呼と同時代である。240年魏の使者が邪馬台国を訪れた時、卑弥呼の政治を補佐していたのである。その活躍年代は三世紀前半である。
したがって、六代孝安が三世紀前半の人で、266年台与と一緒に西晋の爵位を受けた男王が、九代開化なのである。
こに欠史八代として、その実在すら疑われてきた二人の天皇の、活躍年代が判明した。

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