第三章 系譜は信じられるか

(5) 系譜編年

 私は古事記の天皇没年干支は朝鮮史書及び、中国史書との関係から、没年干支は信じられるとした。
そして266年西晋に朝貢した倭国女王は台与で、台与を尾張氏の天豊姫とする。天豊姫は開化の妃竹野媛でもある。したがって開化の実年代を266年頃とする。
したがって崇神の没年干支戌寅は318年である。
更に尾張氏の宇那比姫を卑弥呼として、卑弥呼の政治を補佐した男弟は、義理の弟である孝安とした。したがって孝安の活躍した年代は、卑弥呼の年代でおおよそ三世紀前半である。
そして宇那比姫の三世代前が神武の時代である。それはおおよそ二世紀初頭となろう。したがって後漢書倭伝が伝える107年に朝貢した倭国王とは神武に他ならないと考える。大和朝廷はこの107年の直前に成立したのである。
それらの一連の年代観を天皇系譜と関連付けて年表にしたのが下の図である。
私はこれを系譜編年と呼ぶ。系譜伝承や神社伝承には、一部ではあるがどの天皇の時代かを記すものがある。
また記紀伝承は天皇毎に事跡を記す。上記の系譜編年を当てはめれば、記紀伝承の実年代や系譜上の人物の活躍した実年代推定することができる。



私はこの系譜編年は日本古代史解明の強力な道具となり得ると確信する。
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