第七章 径百余歩、卑弥呼の墓

(7) 巨大古墳が立ち並ぶ墓域

 下は玉手山の航空写真である。昭和40年代の写真で樹木がまばらなので地形の様子が良くわかる。
図でNo1,No2、No3、No5とした尾根の中心には墳丘が存在し、何れも間違いなく古墳である。



No3の墳丘は、2500分の地形図では単なる自然の尾根にしか見えない。だが盛り土の範囲は尾根の中腹部に及び、遺跡地図で20mの円墳とされる古墳である。おおよそ緑の円で示した範囲が盛り土の範囲である。
墳丘は間違いなく尾根の裾を意識して造られている。尾根全体が一つの墓なのである。
No1とNo2もほぼこれと同じ造りをする。しかもNo1とNo2では墳丘の高まりが明確に等高線に現れる。立地する尾根も、No3よりはるかに大きい。尾根全体を墳丘とする巨大古墳である。



No4が古墳であるか否か今一つ判断が付きかねるが、これも古墳である可能性はある。またNo5とする場所に、長辺25mほどの楕円形の古墳が存在する。
ここ玉手山の西側斜面は、巨大円墳が立ち並ぶ墓域である。しかもNo2の調査地から出土した土器片から、三世紀代までさかのぼる可能性がある。

『記紀』によれば、六代孝安天皇はこの玉手山に葬られたとする。平安時代の法典のような書物である『延喜式』に天皇陵についての記載がある。
孝安陵の墓域を東西六町、南北六町とする。おおよそ東西650m、南北650mくらいで、ほぼこの玉手山全域である。
No2はこの玉手山の山塊の1等地であり、その大きさから見てNo2が、本当の孝安陵ではないかと思っている。
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