第八章 考古学から見る大和朝廷出現の時期

(1) 環濠消滅が語る奈良盆地の社会変動

  奈良盆地には拠点集落といわれる、弥生中期から後期の環濠集落が存在する。
主な拠点集落として、磯城郡田原本町の唐古・鍵遺跡をはじめ、天理市平等坊・岩屋遺跡、桜井市芝遺跡、桜井市大福遺跡、橿原市四分遺跡、御所市鴨都波遺跡などが知られる。

不思議なことに、弥生後期後半から末ころ、ほぼ時を同じくして環濠が一斉に埋没するのである。唐古・鍵遺跡では大量の土器が環濠に捨てられ、埋め立てられている。土器は意図的に捨てられたらしく形をとどめるものが多い。
奈良盆地では弥生後期後半に、なにか大きな社会変動が起きたと考えられる。

長年、唐古・鍵遺跡の発掘に携わってこられた、藤田三郎氏による、遺跡の変遷を、環濠の消長から論じた、注目すべく論考がある。以下にその論考の図を示す。

出典:古代探求 森浩一70の疑問・中央公論・1998年
『古墳時代の唐古・鍵遺跡の消長』藤田三郎




 唐古・鍵遺跡は面積約42ヘクタール、近畿地方最大の環濠集落で、弥生後期には直径約400mの居住地域を取り囲んで、5条の濠がめぐらされていたとされる。
図に示されるように、その環濠が弥生後期後半(Y−3)に、大量の土器投棄を伴って埋没するのである。その変遷を藤田三郎氏は次のように述べる。
『弥生時代後期初頭に掘削された環濠は、後期前半の溝さらえあるいは再掘削によって維持されたが、後期後半(大和第Y−3)に大量の土器の投棄をもって、大半の環濠は埋没する。』

弥生の年代論は論者によって大きく異なる。藤田三郎氏が(大和第Y−3)の実年代を何時頃とするのか不明であるが、弥生の後期後半に環濠は消滅するのである。

次に示すのは森岡秀人氏の弥生年代である。

 年輪年代測定や炭素年代測定が用いられるようになって、近年弥生の年代観は古く成って来ている。
森岡氏が提示する、年輪年代仮想モデルやAMS炭素14年代とする年代観にしたがえば、藤田氏が環濠が消滅するとする弥生後期後半(Y−3)は、森岡氏の編年でV期とされる部分の後半で、その年代は2世紀の初頭である。


この頃奈良盆地では大きな社会変動が起きたのである。
私はこれこそが、神武が奈良盆地に侵攻し、大和朝廷を樹立した事と関係すると推測する。
環濠が埋没したのは、神武軍によつて集落が滅ぼされたのである。それは2世紀の初頭である。

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