第八章 考古学から見る大和朝廷出現の時期

(2) 漢鏡の出土から見た大和朝廷出現時期

 下記の図は岡村秀典氏による漢鏡4期から6期の出土地図である。

この図から次のことが読み取れる。
漢鏡4期以前(前漢時代)の鏡の出土地は北部九州が中心である。
製作年代が紀元前後とされる4期の鏡は、現在までのところ奈良県には出土していない。
一世紀後半(後漢前期)の製作とされる5期以降、出土地は西日本一帯に拡大する。
現在5期の鏡の出土枚数は、北部九州と、九州以東ではほぼ同数である。
6期になると全地域で鏡の出土数は減少する。7期の出土地の中心は畿内に移る。


出典:岡村秀典著『三角縁神獣鏡の時代』。1999年発行。発行所 葛g川弘文舘

この図で注目すべきは、漢鏡5期の出土地とその枚数である。
畿内の前期前方後円墳の一部に、複数の5期の鏡を出土した古墳がある。中でも天理市、天神山古墳は、出土した23面のうち、4面が方格規矩鏡、6面が内行花文鏡と、10面が5期の鏡である。
天神山古墳は全長100mと、さして大きくはない前方後円墳である。だが行燈山古墳や、渋谷向山古墳などの王墓が存在する柳本古墳群に位置する。その被葬 者として大和王権の中枢に関係する人物が想像される。不思議なことに遺骸の埋葬はなく、木櫃の中から多量の水銀朱と20面の鏡、さらに木櫃外から3面の鏡 が出土している。行燈山古墳(伝崇神陵)の副葬品を納めた陪塚とも考えられる。
古墳の築造は四世紀代のはじめであろうから、鏡の製作から副葬されるまでに200年以上経過したことになる。

これだけまとまった5期の鏡の入手が、列島内での二次的な入手とは考えにくい。この一族の先祖が1次入手者と推測される。

さらに2面以上の5期の鏡を出土した古墳として、京都府相楽郡山城町の椿井大塚山古墳、桜井市のメスリ山古墳、大和郡山市の 小泉大塚古墳、上記の地図に記載がないが、ホケノ山古墳も1面の内行花文鏡の破片と、ホケノ山出土と伝えられる1面の内行花文鏡が存在する。
天神山、椿井大塚山、メスリ山、ホケノ山のいずれも、大和王権の中枢部と関わる被葬者が想定される。

前期に属する前方後円墳の発掘調査は決して多くはない。今後発掘調査が進めば、さらに5期の鏡は増えるであろう。大和王権は5期の鏡を相当数所有している。5期の年代について岡村氏は一世紀代をあてるが、研究者によっては一世紀末から二世紀代をあてる説もある。
1面だけなら列島内で二次的に入手したとも考えられる。しかし天神山古墳のように、10面ともなると、この古墳の被葬者の祖先が、直接入手したと考えざるを得ない。
決して伊都国などを経由して入手したのではない。列島内で直接入手できる立場にあったのである。
天神山古墳の場所は、渋谷向山古墳や行燈山古墳などの、初期大和王権の古墳が存在する場所である。そのことは大和王権の祖先が二世紀前半に製作された鏡を入手していることを意味する。
したがってこの王権は、漢鏡5期の鏡の製作年代には、成立している。大和王権は、二世紀前半にはすでに成立しているのである。
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