第九章 日本国家の源郷 

(3) 神話の時代

  日本という国の原点を、大和朝廷の成立に求めれば、この国の建国はここに始まる。だが日本書記などの歴史書は更に神話時代へとさかのぼる。

私は六代孝安を卑弥呼の男弟とした。したがって孝安は卑弥呼の時代の人で、三世紀前半である。
そして、その三世代前くらいが、初代神武世代である。神武の時代は、孝安の時代の70年〜90年年前、すなわち二世紀前半である。従って107年、後漢に朝貢した倭国王(わこくおう)とは、初代神武と考える。
だが日本書記などは更にそれよりも古い時代についても記す。それは神話の時代である。

 神武以前に奈良盆地に進出したと思われる勢力がある。その王権の主は大国主(おおくにぬし)あるいは大物主(おおもおぬし)と称される人物である。
桜井市の三輪神社や、天理市の大和神社(おおやまとじんじゃ)に祭られる祭神である。また御所市の鴨都波(かもつば)神社や、高鴨(たかがも)神社の祭神は、大国主の子供とされる人物たちである。
その子孫の一つが、大神氏(おおみわし)あるいあは三輪氏(みわし)とも称される、三輪神社の神官家である。
大国主は出雲神話の神様であり、その出身は出雲であろう。そして神話は天孫が、この出雲の支配者から、国を譲り受けたとする。神武はその天孫の後裔とされる。
日本列島の一部を最初に統一したのが、この出雲の勢力であることを、神話は伝える。
その年代は次のように推測される。

大国主の子、あるいは孫が、積羽八重事代主(つみはやえことしろぬし)命。鴨都波神社の祭神である。その子供が、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。神武の皇后である。
したがってこの大国主の年代は、神武世代の二〜三世代前、おおよそ一世紀の前半が想定される。

 また天皇家の祖神とされる天照大神は、神武の四世代前の人物で、おおよそ神武の活躍年代の100年前、すなわち紀元前後が想定される。

もちろん『日本書記』でもこのあたりは、神代とする部分である。そのまま史実として扱えるわけではないが、『日本書記』などによって、この国の歴史を紀元前後までたどれそうである。
私は秋津遺跡の発掘を契機として、『日本書記』の古い部分も、歴史的事実の一端を伝えると、証明されると確信する。

目次
前のページ 次のページ